米つくりの昔と今
皆さん!おはようございます^^。
いま農園では水稲の刈り取りが日々続いています。
多くの方が、米つくりの昔と今、ご存知でない方が多いと思いますので私の体験をお知ら
せしてみたいと思います。
私は、昭和28年生まれで67歳、私の子どもの頃は、田んぼの耕うんは、父が牛を使
いスキ起しをしていました。その後は、マガという耕うんづめが付いたものを牛に引かせ
代かきをしていました。
牛耕の後は小学生の頃からテーラーという農業機械が入り始め、その後、耕耘機、40
数年ほど前からトラクターに変わりそのトラクターも様々な機能が付き使いやすくなって
きています。
それは耕耘機に限らず、田植えも同じことです。手植えの時代から歩行型の田植え機にな
り、乗用の田植え機と変わってきました。そして刈り取りにしても、朝早くから一株一株、
カマで手刈りをしていました。10a刈り終えた後に田んぼで朝飯、その後また20a、
1日に家族総出で30a刈り取りするのが一生懸命でした。午後からは刈り取りしたのを藁
で結び、掛け干しにかけ、作業を終えて帰って来る頃は、お月様が出ているという・・そん
なお米つくりの作業を経験してきています^^。
そうしてみると私は、丁度良い頃に生まれお米つくり体験をして来たと感じています。
・・手作業から機械化、そして肥料農薬をふんだんに使った慣行栽培から化学物質を一切
使わない自然栽培へ!
後を引き継いでくれている2代目はとても熱心で安心して全てを任せられるようになっ
てきました。
自然栽培では手がかかりますので、面積拡張はかなり難しい面があります。よって、農園
では出来るだけの面積を丹精込めて栽培し、ご縁のある方だけに元氣なお米をお分け出来
ればと思っています。
今年は、あの大雨、長雨の影響で収量は少ないようですが変わらず元氣なお米ができて
います。準備が出来次第お分けしたいと思います。
どうぞ今後とも子々孫々まで末永いご縁を・・・・^^。
では、「幸せになるための一日一話」です。
芸術の意義
山の中に入り込むと、山は見えません。泳いでいては、
海の偉大さはわかりません。本当に生活そのものの意義――
実は自分そのもの-ーを見きわめるためには、自分の生活・
仕事から全く離れて、見る――客観する――ことが必要にな
ってまいります。
すなわち、全く何も無い所、空なる所――空所――が必要
になってまいります。その空所が、芸術境であります。
生花、茶の湯、謡曲、芸道、または花造り、山登り、釣り、
散歩などといったものが、すべてこうした意味をもつものだ
と思います。
* 今日の道しるべ
まず「親の子」になる
樹木は大地にしっかりと根を張り、栄養を吸い上げてこ
そ、花を咲かせ実を結ぶことができる。人もまた生命
の元である親に感謝し、その愛に気づいて初めて個性の
花を咲かせ、実りある人生を送ることができるのである。
・・・今日も皆さんに何か良いことがありますように!・・・
(あなたの健幸から地球環境善循環へ向けて!)
健幸一番楽らく農園