農園ブログ

自然米(無農薬米と自然栽培米)の健幸一番 楽らく農園 »  2021年05月

2021年5月

田植え後3カ月

[ 2021/05/30 ]

皆さん!おはようございます^^。

 田植え後の3カ月・・稲さんたちはこんなになりました~^^。

 3週間の早い梅雨入りでしばらくは雨が続いたのですが、昨日は久しぶりの快晴。

稲さんたちも喜んでいるようです^^。

 今は、早いところで溝切作業に入りました。

遅いところはタニシさんの食害を抑えるために草を刈り、餌やりに走り回っています^^。

収穫まであと2カ月余り・・いましばらくおまちくださ~~い!^^。

 

 では、「幸せになるための一日一話」です。

       心は常に自由

 物の世界を越えた心の面は、常に自由である、どこも平等

である。いくら大きい希望をいだいていても、大きすぎると

なじる者はいない。いくら遠大な理想をかかげても、税金は

かからぬ。

 ゲーテやミケランジェロ以上の芸術家が出ていかぬという

制限もないし、君はカーネギーやフォード以上の事業をやっ

てはいかぬとのおきてもない。

 心の灯はかかげるにまかせ、精神のダイヤはみがくにまか

されている。まことに自由、実に平等・・・何物のさまたげ

もない、何時という制限もない。

 

 * 今日の道しるべ

 

     肉体は、自分で

     治る力を持っている

 

        生物は、常に生きようとしている。

 

        この生命力に全幅の信頼を置き、

 

        泰然自若として療養していけば、必ず回復する。

 

        どんな病気も、自分の生命力が治す。

 

        必ずよくなると信じる心が、生命力を呼び覚ます。

 

    ・・・今日も皆さんに何か良いことがありますように!・・・

 

      (あなたの健幸から地球環境善循環へ向けて!)

            健幸一番楽らく農園

 

お布施2

[ 2021/05/27 ]

皆さん!おはようございます^^。

 今朝の天草は、雨模様になっています^^。

農園では、畦畔の草払いから田んぼの中の除草やタニシへの餌やりで刈り取った後の

草を播いていま~す^^。

 さて今朝は、前回の続きです。

* 千日回峰行は辛い修行ですが、これをやったから「偉い」などというものではあ

りません。

 この修行で分かったことは「当たり前のことを当たり前にしないといけない」とい

うこと。また、「なぜ私は生まれてきたんだろう」「なぜ生きていくんだろう」などと

考える必要はないということでした。

 私たちは、与えられた環境の中で「生きる」というより「生かされている」のです。

そして、呼吸ができるだけで、お水が飲めるだけで感謝。物が食べられて幸せ。それを

エネルギーにして、誰かに自分の暖かい心を表現できるだけで幸せ。夜、眠れるだけで

幸せ。こうした小さな幸せが、本当の幸せだということに気付くようになりました。

 難しい宗教哲学や宗教的理論は、あまり必要ないと思います。あってもいいし研究し

てもいいけれど、頭でっかちになってそれを議論しすぎて互いに争うことは、短い人生、

非常にもったいないことです。

 膝を突き合わせた人と人とが心を通い合わせ、笑顔で相手を思いやる。それが一番の

幸せではないでしょうか。

 「布施」という言葉があります。「人に施す」という意味です。たとえお金や物がな

くても私たちにできる布施があります。

  ➀ 人にやさしい言葉をかけてあげること。これを「愛語施」といいます。

  ➁ 人にやさしい笑顔で接すること。これを「和顔施」といいます。

 優しい笑顔や言葉をかけられた人は、心が潤い、それが生きる光となるのです。

この「愛語施」や「和顔施」の功徳が地域や国、やがては世界の幸せにつながっていく

のだと私は思っています。

   ・・・これでお布施はおしまいです^^。・・・

 

では、「幸せになるための一日一話」です。

      真実は心の中にあり

 物は、一つの所につかまって、そこだけ見ては、ほんとうの

ことはわからぬ。「井の中のかわず」とか、「針の穴から天の

ぞく」とか言うのはそのことであろう。

 高い所に上がって見下ろしてみる。万事のんきである、と心

がきまれば問題はない。

 真実は、物そのもの、事そのことの中にあるのではない、実

は自分の心の中にあるのである。

 一歩退いてみよ。あれがいけない、これが悪いと思ったその

種子は、その人や物にあるのではなくて、自分にあるのだ。

 

 * 今日の道しるべ

 

     願いは行動の

      原動力である

 

        動物も欲求をもつが、願望は人間だけが抱く。

 

        その願望が文化を生み、はぐくんできた。

 

        願いは強ければ強いだけ、実現に近づく。

 

        強い願望に支えられて、やっただけのことが、

 

        必ず結実成就する。

 

    ・・・今日も皆さんに何か良いことがありますように!・・・

 

       (あなたの健幸から地球環境善循環へ向けて!)

             健幸一番楽らく農園

 

お布施

[ 2021/05/25 ]

皆さん!おはようございます^^。

 日本講演新聞が届きました^^

その中に9年の歳月をかけて合計1000日間歩きつづける修行「大峰千日回峰行」。

この行の中盤で、塩沼さんは生死の瀬戸際まで追い詰められますが、母の言葉を思い

出しその試練を乗り越えることができました。・・とありました。

 今回からその塩沼亮潤先生の講演録を2回に分けてお知らせします。

*行の中盤に差し掛かると、私の中にだんだん感謝の気持ちが表われるようになりま

した。

 782日目に書いた日誌です。

 人間は雨を降らすことも、そよ風を吹かすことも出来ない。ただ一つできることは、

人を思いやること。人を思いやることによって人に感動を与え、勇気を与えることが

できる。人間は母なる大地に抱かれしことを忘れてはいけない。

 880日目の日誌です。

 苦しみの向こう、悲しみの向こうには何があるのだろうと思っていたが、そこにあ

ったものは、それは感謝の心ただ一つ。

 そして999日目を終えた時に書いた言葉が「人生生涯小僧のこころ」でした。

行に入る前に、お師匠さんから「行を終えたら行を捨てなさい」と言われていました。

その言葉のとおり、行を終えたら吉野山に小僧として入山した日と同じ気持ちに立ち

戻り、新たな人生をスタートさせようと思ったのです。

 翌朝、私はいつもと同じように身支度をして、いつもと同じようにお山に行って、

いつもと同じように帰ってきました。ですから千日目を終えた時も、深く感動したと

いう記憶はありません。

   ・・・次回へつづきます・・・

 

 では、「幸せになるための一日一話」です。

       人は我が身方

 苦しみのたねは他人にあるのではない、皆自分にある、

我が心にある。有りもせぬ影法師をつかまえて、恐がって

いるのである。

 それで、「物を捨てよ」という、「物欲を去れ」という。

本当のことは、物を捨てたら生きていけない。「捨てよ」と

いうのは、「とらわれる心をとれ、好ききらい・不足不満の

心を去れ」ということである。

 暖かい愛情をもって人に向かえば、人ことごとく我が身方

であり我が友である。おだやかな明るい心をもって物に向か

えば、物みな我がために有り、我がために働く。

 

 * 今日の道しるべ

 

    ほんとうに

    打つ手はないのか

 

        どうしても壁を突破できなければ、一からやり直す。

 

        これまで打った手の中に芽を出しそうなものはないか、

 

        見落とした策はないか。落ち着いて、何度でも見直し、

 

        徹底的に可能性を探る。まだ手はある。きっとある。

 

    ・・・今日も皆さんに何か良いことがありますように!・・・

 

      (あなたの健幸から地球環境善循環へ向けて!)

            健幸一番楽らく農園

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