美味技術学会誌寄稿1
皆さん!おはようございます^^。
今回から数回に分け、美味技術学会への寄稿をお知らせします。
美味技術学会誌寄稿No1です。
*残留農薬の気づき
私は、1953年生まれの67歳、熊本天草で、お米つくりを始めて47年になる
米専業農家です。
当初は兄が農業をやっていたのですが、会社勤めになり代わりに私が農業を引き継ぐ
という、いわゆるUターン農業者の一人です。農業については子どもの頃から手伝い
はしていたものの技術的には全く素人の状態でお米つくりを始めました。
私が、一番最初に気になったのが、農薬の使用量の多さでした。「こんなに沢山の農
薬を使用して栽培したお米を食べても大丈夫なのか?」という疑問でした。或る時、
JA組合長との交流会の席でその事について質問したのですが、組合長曰く、「表示
されている通りに使用すれば大丈夫」という返答でそのまま作り続けていました。
お米つくりも増産の時代からコメ余りが生じ、良食味の時代へ。昭和53年、熊本県
で良食味の優良品種実証展示圃での試験栽培が行なわれることになり、天草では実施
圃場として私の水田でも試験栽培をすることになりました。
栽培品種は、越南101号・ホウネンワセ・コシニシキ・ハツニシキ・コシヒカリ・
ササニシキ・テンリョウの7品種。1年目は全てがベッタリと倒伏、2年目は選抜し
てコシヒカリを含む4品種を試験栽培、この年も倒伏。しかし将来有望と判断され決
定されたのがコシヒカリでした。
55年から一般の農家を含め、コシヒカリを栽培することになり、それからも試験栽
培の継続でした。技術的には倒伏させないようにと、ある年、農業改良普及所から試
験用にと持ち込まれたのがセリタードというホルモン系統の粒状の農薬、これは背丈
を低くし倒れないようにするということで試験的に使用、背丈は低くなり倒伏しない。
その時はなるほど・・と、思っていたのですが、問題は次の年、その薬剤を使用して
いないにもかかわらず、その圃場の稲は昨年同様に背丈が低く穂数の少ない実がつき
ました。そこで気づいたのが「残留農薬」です。
これは「昨年の農薬がそのまま残っている」、ということを稲の姿として見れたこ
とが大きく、「このようなお米を食べてもみんなが元氣にならない」と感じました。
それから減農薬から自然農法へと移行し、今年でMOA自然農法が31年になり農薬、
化学肥料の不使用は勿論のこと施肥もしないという自然栽培歴は15年目を迎えます。
では、「幸せになるための一日一話」です。
仕事を追う
出発の良し悪しが、その日の仕事に、どのように関係するか。
気をつけてためしてごらんなさい。仕事が順序よくいく。人が
都合よく来る。話がよくまとまる。
それはなぜでしょうか、仕事を追うからです。朝寝をすると、
もう仕事のほうが、早く目をさまして(すべてのものは、太陽
がのぼると同時に目をさます。と思ってください)、おしかけ
てきている。
すべての仕事は、こちらから積極的に進んで追ってするとき、
すべてが簡単に片付き、順序よくはかどる。こうして人生の勝
利者となるのです。
* 今日の道しるべ
未来は「今」の積み重ね
「今」の行動の連続が「今日」となり、
「今日」の連続がわが人生となる。
今、すべきことを疎かにしてはないか。
・・・今日も皆さんに何か良いことがありますように!・・・
(あなたの健幸から地球環境善循環へ向けて!)
健幸一番楽らく農園