お布施
皆さん!おはようございます^^。
日本講演新聞が届きました^^
その中に9年の歳月をかけて合計1000日間歩きつづける修行「大峰千日回峰行」。
この行の中盤で、塩沼さんは生死の瀬戸際まで追い詰められますが、母の言葉を思い
出しその試練を乗り越えることができました。・・とありました。
今回からその塩沼亮潤先生の講演録を2回に分けてお知らせします。
*行の中盤に差し掛かると、私の中にだんだん感謝の気持ちが表われるようになりま
した。
782日目に書いた日誌です。
人間は雨を降らすことも、そよ風を吹かすことも出来ない。ただ一つできることは、
人を思いやること。人を思いやることによって人に感動を与え、勇気を与えることが
できる。人間は母なる大地に抱かれしことを忘れてはいけない。
880日目の日誌です。
苦しみの向こう、悲しみの向こうには何があるのだろうと思っていたが、そこにあ
ったものは、それは感謝の心ただ一つ。
そして999日目を終えた時に書いた言葉が「人生生涯小僧のこころ」でした。
行に入る前に、お師匠さんから「行を終えたら行を捨てなさい」と言われていました。
その言葉のとおり、行を終えたら吉野山に小僧として入山した日と同じ気持ちに立ち
戻り、新たな人生をスタートさせようと思ったのです。
翌朝、私はいつもと同じように身支度をして、いつもと同じようにお山に行って、
いつもと同じように帰ってきました。ですから千日目を終えた時も、深く感動したと
いう記憶はありません。
・・・次回へつづきます・・・
では、「幸せになるための一日一話」です。
人は我が身方
苦しみのたねは他人にあるのではない、皆自分にある、
我が心にある。有りもせぬ影法師をつかまえて、恐がって
いるのである。
それで、「物を捨てよ」という、「物欲を去れ」という。
本当のことは、物を捨てたら生きていけない。「捨てよ」と
いうのは、「とらわれる心をとれ、好ききらい・不足不満の
心を去れ」ということである。
暖かい愛情をもって人に向かえば、人ことごとく我が身方
であり我が友である。おだやかな明るい心をもって物に向か
えば、物みな我がために有り、我がために働く。
* 今日の道しるべ
ほんとうに
打つ手はないのか
どうしても壁を突破できなければ、一からやり直す。
これまで打った手の中に芽を出しそうなものはないか、
見落とした策はないか。落ち着いて、何度でも見直し、
徹底的に可能性を探る。まだ手はある。きっとある。
・・・今日も皆さんに何か良いことがありますように!・・・
(あなたの健幸から地球環境善循環へ向けて!)
健幸一番楽らく農園







